生きた記録

自分が生きてきた記録をジャンル問わず書こうと思います。

取り急ぎ、ご報告まで。

こんばんは。

さっそく更新頻度が下がっております。

 

そろそろ今週のお題とかお題スロットとか活用して記事を書いた方がネタに困らないのでしょうか?

 

さて、今日は報告があり筆を執らせていただきました。

なんと!機械音痴として名高い私ですがパソコンを買いました。

勢いで生きているので10万くらいの品をぽんと買ってしまいました。。。

 

今回購入はヨドバシカメラで行いました。

購入時に伝えた使い方は以下の通り。

・ブログの更新や管理、気力余ればレイアウトいじりたい

・動画は見ないし写真・動画の編集はまずしない

・できれば独学で「ぷろぐらみんぐ」なるものに挑戦してみたい

(なお数学途中で諦めたド文系人間)

・価格的には出せて10万円

 

この条件をもとに選んでいただいたのがDELL

Inspiron 14 5000という機種でした。

どうやら最近のWindowsではCOREi5以上じゃないとまともに動かないらしいですね?よう知らんけど。

あとJavaやりたければ5からじゃないと動かないよと言われました。知らないけど。

いやマジで機械音痴パソコン恐怖症の私なのですが前回持っていたパソコンが留学の準備のために購入した(2010年の秋とかに買ったのかな)hpのproブックシリーズという業務用のめちゃくちゃ重い古い機械だったので今のパソコン情報を全く知らないのであります。前の買った時も父とお店の人任せだったし...

今回もお店の人に選んでもらって念のため恋人にも見てもらってなんとか選ぶというみっともなさ。

そのうちこれを使いこなして馬鹿にしてやるんだ!!

 

この製品の使い勝手についてはまたおいおい使わないと私には判断がつかないのでそのうち使い慣れてきたらAmazon楽天のアフィでもつけて案内しますね(どやぁ)

ゆーて毎日でも使わないと慣れることが難しそうだなぁと思います。

そしてアフィについてはありがたいことにこのブログの一番人気記事?につけているからか閲覧数が大変なことになっているのですが、なかなか収益にはつながっていないので毎日更新することで月に缶コーヒー一本分くらい稼ぎたいなと思っております。

最終的にきちんと独自ドメインを取得してぐーぐるあどせんすを付けたかっこいい専門性のある、好きなことだけを書いたブログを、、、なんて夢を見ているのですが専門性あることがないからこそこの雑多なブログが完成しているのですが。

 

さて、話を戻して最後気持ちだけでもこのパソコンの決意をば、、、

とりあえず使い方は明確に決めてないのですがスマホからよりもブログ編集しやすいし株とかに手を出すにしても画面が大きくていいしハロワの求人探すにしても(転職後半年で辞めていいのかは置いておいて)見やすいだろうし何よりも持っているとかっこいい。

 

このパソコンを持ち出してスタバで作業するんだ、という夢を叶えていきたいと思います(やれば明日にでも叶うでしょとか突っ込まないでください)

当面はアンケートサイトとかブログ更新に使っていきたいと思います。

 

次の記事はチャットレディの体入にいった話とチャットボーイをさせた話でも書く予定ですのでお楽しみに。

2019年の決意(という体での生存報告)

お久しぶりです。

最後の更新から何ヶ月経ちましたかね…?

 

なかなか更新頻度低いながらも毎日大勢見てくれてるみたいで嬉しいです。

 

さて、タイトル通りなのですが、今年は更新がんばりたいと思います。

とはいえ三日坊主になるんだろ、とお思いのそこのあなた。

おそらくその通りです。

 

でも今回はチートアイテムを投入します。

今日、パソコンを買いました。

 

2019年のわたしの抱負にパソコン(含めネット)への恐怖感をなくすというものがございます。

 

遅筆で自分嫌いでうまくかけない自分ではあるんですが頑張りたいと思いますんで頑張りますね。

 

あとはアフィリエイトをうまーく活用することで不労所得が欲しい。月ちょっとで全然構わないからどうにか。

 

 

とりあえず取りまとめ

•パソコンから最低週一更新します

アフィリエイトのリンクも貼ります

⇨クリックしてくれたらまたブログにします

•世間の波に遅れないよう頑張ります

✴︎また仕事を辞めたいんだけどギリギリまで耐えようと思います

 

多分再来年くらいに結婚します。(希望的観測

ガチ陰キャ、ウェイを目指す〜バイクってかっこいいよね〜

みなさまお久しぶりです。
本当に最近は単調な日々を送っておりました。
本当は毎日更新できるくらいエキサイティングな日々を送りたいんですが、なかなか難しいですね。

さて、タイトル通りですがウェイを目指す行動の一環としてバイクの免許を取りました。7/8-7/18まで合宿してきました。
初日バイク起こせず「無理…帰る…」ってなったけど卒検落ち1回の延泊だけで帰って来れました。

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ざっくりまとめ
~~~~~~~~~〜
自分の状況
普通自動車免許もち
・スケジュール管理がめちゃくちゃ苦手
・運転や自転車乗るといった行動を覚えるのが苦手
・継続力がほぼ皆無
・ぶっちゃけバイクに微塵も興味がない

うん。これは通うより合宿行ったほうがいいね。ということでネットで探して安いところ行ってきました。
口コミがズタボロに書かれていてバイク合宿で一番上に出てくるところです。探せばマジでわかる。

合宿料金・・・大体全部込み、生活費と交通費、振込み手数料まで入れて10万弱くらい。ネット割引あった。
合宿もって行ったもの・・・本3冊くらいと服。日焼け止めは持ってったけど暑すぎて死んだ。
もって行けばよかったもの・・・ひえぴた、湿布。これは買ったけど持って行っていればなぁと思った。

※女性の場合、バイクの合宿を受け付けていない教習所もあるようです。
1番初めに連絡したところから受け入れがない旨のメールが来ました。
要確認です。とはいえそんなに多くはないと信じたいですが…。

免許更新・・・
★更新期間と被る場合には自動更新される
•試験免除は申請書記入(要:写真)、印紙購入、受付→視力確認、暗証番号作成、学科試験•技能試験免除の手続説明、写真撮影、免許交付って感じで3時間弱くらい
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここからは詳しく
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

まず、思い立ったのは四月。
囚われのリゾバ(ばっくれの時効になったくらいでこれも記事書こうと思う。まだ逃げてから時間経ってないんだ…)にてバイクに憧れる。
【ここから逃れたら免許を取る…】
そんな夢を抱いた約1ヶ月後には脱走しました。

自分の場合3ヶ月以上前に予約したんですが、「キャンセルはお金返ってきません!!!この電話で確定ですよ!!!」と脅されました。どうやらサイトによっては全然そんな説明なく、1週間前くらいまでは返金してくれるらしいです。
申し込み前の確認大事。
完全にノリで【バイク合宿免許 安い】とかで検索し、1番上とか2番目くらいのところから
ネット予約⇨メール受信⇨電話で確認
⇨郵送で書類くる、振込等々済ませる⇨合宿を待つ
みたいな流れで予約しました。
スマホ一つで出来ました。

☆上記の通りリゾバで家を空けていたんですね。ただ免許合宿ということもあり現住所と運転免許証の住所違うとややこしいことになりそうだったので親にわざわざ転送してもらいました。
皆さまは自分のところに来るようにしましょう。リゾバは環境によってはマジでクソ(そのうち書くけどあんま書くとバレそう)。


[合宿当日〜制限厳しすぎる編〜]
上で触れたんですが、私の行った教習所は割とネット評判ズタボロです。
行ってみてもなかなか時代錯誤な感じで面白かったです。
ネットの評判ざっくりまとめると
•一部鬼教官がいる
•教習生同士喧嘩する
•出禁の店がある
•鳩の卵が料理として出てくる(という噂がある)
•教官が神様で生徒は奴隷
•口コミ読んだなら絶対行くな
•口コミは人生を舐めてる若者だけだから来るべき
etcetc
改めて見返したけどめちゃくちゃ面白くて笑えます。
Twitterにも監獄って書かれてたし面白いと思います。

【実際にびっくりしたこと】
•鳩小屋がある
•男女会話禁止(やんちゃな人のナンパ対策らしい)
•食堂でケータイ禁止
•出禁の店がある、侵入禁止を言い渡されるエリアがある
•「噂の」教官に初日から「(真面目にやる気ないなら)帰っていいよ!」と言われる

うん。まぁ衝撃的な場所でした。
コミ通りだなーってところもあったけど、閑散期(または夏休み前の、嵐の前の静けさ)だからそんなに不便したことはなかったです。
男性でも追加料金で個部屋選べるので、個人的には年齢上がってるなら個部屋選ぶのおすすめします。周りの飲食店がグッと増えるしできることが広がるので。
特に同時教習だったらあの近辺だけでは絶対に飽きると思います。

[技能の教習について〜恨むべきは己の非力さ、ビビリ気質〜]
バイクの教習では、まず適性検査を受け、その後実際に乗ります。
行った当日に乗らされたので結構びっくりしました。2コマ入っていました。
(同時教習は4日目くらい?に初めてバイク乗ってたみたいです)

1番初めにも書いたのですが、初日はバイクを倒して起こすところから始まります。自分達の回では確か倒してあったのを起こす感じだった?
男性陣6人女性陣3人で挑むも、女性陣誰も起こせず。
コツを聞き力を入れるも、なかなか起こせず。
設備諸々つけたCB400は200キロ近くあったのではないか…。
バイクは倒すもんじゃねぇ。そう学んだ初日であった。
そして、何が怖いかといえば、バランスが安定しないのである。
普段四輪で転ぶなんてことを考えない身からしたら、乗るのにも降りるのにもバランスを取る必要があるバイクは思いの外強敵だった。まず、乗り込むとき右に傾け過ぎるとすぐ倒れる。
降りたとき、スタンド見つけられず手間取るとがっしゃーん。初日初回で3回くらい倒し、その度教官に手伝ってもらったのである。さらにバイクを手で押すのめちゃくちゃ重い。えげつない。
前に友達がバイク押してるのめっちゃ重いって言ってたのうそでしょとか言って正直すまんかった。
一回車庫にしまうときに重すぎて3台巻き込む大きな転倒事故もどきを起こし結構トラウマになった。
バイクやめて帰りたかった。

少しエンジンをかけて、前に進んだり後ろに戻したり、簡単な操作を学ぶ初回。
間違ってエンジンかかったりブレーキだけ握ってエンストしたりなかなか怖かったです。
教官がピリピリしておらず優しかったのが救い。

さて、次の日朝起きた私は絶望した。
体がうまく動かないのである。そう、筋肉痛だ。肩が痛い。腕が痛い。なんなら手も上手く握れない。
先に来ていたお姉様方が「湿布は必須だよ〜。私たちはこれに耐えられずに小型二輪に変えたからね〜」と怖い予言をなさっていった。どうにか400で取りたい…でも体力はない…1番初めの苦難でした。(ちなみに4日目くらいから大分楽になり乗り方を覚えたのか5日目からは何も感じず普通に乗れました。多少左腕は痛かったですが)

そしてビビリさが発揮されたのはクランクである。あの中では細い道の中パイロンを倒さぬよう慎重に進まねばならない。
ぶつかっただけでアウトとなるため慎重に進まねばならない。
バイクの構造上右手のグリップがアクセルになっていて、右手が力んで回した瞬間縁石ドーンとなる。先陣何人か乗り上げていた。
私はといえばひとつめの角が曲がれないのである。
スピードが怖く、ついブレーキをかけてしまい何度も転んだ。そのため、ビビリぐせが出てしまい、クランク=怖いものと刷り込まれ何度も失敗した。卒検でさえも…。

[日常編〜そろそろ書くの飽きて来たからざっくり行きます〜]
まとめの方でも書いた通り、自分は普通自動車運転免許持ちである。
この場合学科免除となり暇な時間が多かった。
が、しかし筋肉痛と慣れない日差しによる熱中症で何度も寝ていた。
女性専用のスペースがあり横になれたのが救いだった。

筋肉痛はなんとか耐えられたが一度熱中症で酷い症状が出た。
深夜高熱の時のような、インフルにかかっているかのような高熱にうなされて目が覚めた。次の日もクラクラしながら講習を受けた。たまたまその日はシュミレーターとオートマ体験だったのでなんとか事なきを得たが、この季節には気をつけるべきないようであった。
この他にも教習中、10分残しくらいで体調悪くなった時もあるので、バイクは気候の影響を考え合宿した方が良い。

ちなみにこの教習所では自転車を貸し出しており、外出が可能となっている。
近く?に映画館やカラオケもあったという情報を聞いたが、ついぞ自分が行くことはなかった。
割と暇でぼんやり本読んだりしてた。

[卒検〜合格率95.5パーセント、1人落ちの辛さ〜]
はい。一回落ちました。
同期で自分だけ落ちるのはなかなか辛かったです。
ちゃんと注意は聞いて頑張っていたのですが、緊張からかクランクでコーンを倒した(ぶつけた?)ようです。

二回目の時は左右の確認過剰でよそ見運転にならないようにね、と注意だけで終わりました。その時は合格率100%でした。

卒検に関してはそうとう苦手意識がある場合を除き、それなりに通過しやすいように感じます。
ただ一本橋スラローム、クランクには注意が必要です!!!




とまぁこんな感じでバイクの免許は取れたのですが、なかなかバイクを買うお金と時間がなくまだまごついてる感じです。
誰かバイク貢いでくれる方いたらコメントください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

カンボジアの性風俗について

カンボジア旅行中に色々同行者が経験したことをまとめます。本当なら自分が経験してレポしたかった…!!なんで身体性女なんだ…!!!

 

 

 

あ、今回は1番主流?っぽいナンパとかKKは行ってないです。同行者がビビったのとそんな乗り気じゃなかったのを私が押し切ったためかな?

 

マッサージ店で起こったことなのでお金の交渉次第では最後まで行けたっぽい。

 

0.ネットで読んだカンボジアの風俗大雑把まとめ

クラブでのナンパとマッサージが主流らしい。どうやらトゥクトゥクの運ちゃんがお店に運んで行ってくれるらしい。ただし遊ぶときは基本的に貴重品は持って行かない方がいいらしい。ホテルの金庫にスマホとか預けていくのが吉らしい。

同行者は思っていたより英語能力が低くて、本当に「出川イングリッシュ」を話してた。なお、原則簡単な意思の疎通は本当にそのレベルでできていた。日本人はもう少し度胸をもって突っ込んでいったらいいのかもしれない。

さて、話がそれてしまった。

カンボジアではKKと呼ばれるカラオケのようなクラブ?でお持ち帰りするのが一番コスパ良いらしい。ホテルまで込でも100ドルで遊べる、みたいなことが書いてあった。交渉次第なんだろうけれども。

 

1.今回実行に移した背景

まず、ホテルの立地がものすごくよく、シェムリアップ一番の歓楽街であるパブストリートまで徒歩一分もかからない距離だったのです。その近くにネットにもよく情報の出ている風俗街(怪しげな、夜のみ開くマッサージ店街)がありました。つまりトラブって手持ち全部没収されても怪しい人たちに追いかけられてもなんとかホテルまで逃げ帰ってこれるだろう、というのがありずっと同行者に勧めておりました。

次に、これは後述するんですがアンコールワット観光の後に普通にフットマッサージを受けに行った大通り沿いの健全そうな店で同行者が【男性に】スペシャルなサービスを受けたらしいのです。そのリベンジを兼ねて、普通のお姉さんに相手にしてもらいたい、という気持ちが芽生えたのか、私の説得が効いたのか、同行者は夜の街へと消えていきました。

 

2.大通り沿いのマッサージ店でのスペシャルマッサージ

シェムリアップで1,2を争う大きな通り、シヴァタ通り沿いにある店でした。全体的に紫っぽい風貌で女の人がたむろってたけど、その前に白人のおじ様が入っていったこともあり店を決めました。

アンコールワット観光で暑い中何時間も観光をしていたので完全に足が疲れていて、マッサージを欲していたのです。

とりあえずということで二人で足のマッサージコースに入りました。価格は確か60分で3ドルだか4ドルだったはず。私には女性がついて同行者には男性が付きました。

せっかくだったからいろいろ話しかけてみようと、前日習った「プロサハーン(イケメンみたいな意味)」を使い、コミュニケーションをとっていました。同行者についていた男の子が(19歳だったらしいんですが)めちゃくちゃかわいく、女性も感じがよかったのでせっかくならという気持ちでオイルマッサージも頼みました。全身用。

そうしたら店内に案内されて、シャワーカーテン並みのうっすいカーテン越しにパンツ一枚で寝るように指示されました。結構この時点で私は帰りたかったです。

まぁ、マッサージが始まるとよくある東南アジアの安いオイルマッサージという感じで悪くはないけど良くもない、疲れてるときには寝れるくらい気持ちいいという感じのマッサージでした。私の方は。

うとうとしていたら隣から「俺先にホテルに戻っているから」と声がかかってびっくりしました。この時なんかかなりやばいことになっていたらしい。

 

後から聞いた要約

普通にマッサージが始まった。足元から。

          ↓

だんだん腿に近づくごとにいやらしい感じになる。

          ↓

鼠径部のマッサージを執拗にされ、ちょっとやばい雰囲気を感じる。

          ↓

竿に手がいき、しごき始められる(ここまでは何とか耐える)。

          ↓

口に咥えられ、「あ、これは」と悟る。

          ↓

なんとか考えないようにしていこうとする。だめで女性と代われないか交渉。

          ↓

交渉失敗。逃げたくてホテルに帰ろうとしたら「With me?」と聞かれる。

          ↓

私のめちゃくちゃ好みの男の子だったのになぜ持ち帰らない。と怒られる。

 

分かると思うんですが全く値段交渉なしで始まったらしいんですよね。怖い。

何の躊躇いもなくマッサージが始まったらしいから少なくとも彼個人はそういったサービスを頻繁に行っていたのかもしれないですね。

次の日、私が店の前を歩いたら笑われたんですがなんか因果関係ありますかね。

 

3.普通の女性のマッサージに行ってみる

その日、ツアーで一緒になった女の子たちと飲んでてホテルに戻ったのが日付変わるくらい。そんな時間から行くのは不安だったけども、前日のリベンジをしたがる人の後押しをしないなんて、そんなの友達じゃないよね!!!

財布とスマホ、パスポートその他貴重品を預かって、時計と43ドル(その時たまたまキリいい感じで持ってたから)、旅の指差し会話帳だけ持って送り出しました。

 

こっちも要約だけ

お姉さんに店の外から勧誘される。

      ↓

5人くらいつく。断ったら2人まではなんとか減らせた。

      ↓

服脱ぐごとにチップを要求される。

      ↓

43ドルじゃ全然足りないといわれる。

      ↓

とりあえず上裸で手と口だけで?抜いてもらう。

      ↓

時計預かっててあげるからホテルからお金とってきて。と脅される。

      ↓

この時点でカバンの中漁られたらしい。怖すぎ。

      ↓

入口のおばちゃんが日本語で「どうだった?」とか聞いてくる。

めちゃめちゃ日本語上手かったらしい。

 

これを経験した同行者のアドバイスなんですが、

・お金は細かくして持って行った方がいい(おつりとか絶対来ない)

・値切りは早い段階からちゃんと行うこと

・かなり細かくチップ迫られるからとにかく粘った方がいい

・絶対に貴重品は持っていくな

 

 

――――――――ここからは風俗情報ないし読まなくてもいいよ――――――――――――――

3.シェムリアップで思ったこと

通常のフットマッサージが大体5ドル/時間。トゥクトゥクで町観光して1時間くらい付き合ってもらって5ドル。ワンピース1着、早い段階で値切りを諦めても6ドル。町の屋台で買ったバロックは確か3個で1ドルくらい(1500リエルだったと思う)。

こんな街で1時間程度の性サービス(口と手)で二人で45ドルはかなりいい稼ぎなのではないだろうか。カンボジアには学校が少ない、教育を受けてきた人が戦争で殺された、などと地雷博物館でまなんだけれど、実際どうすればあの町から世界に羽ばたけるんだろうな。

日本語が堪能な、アンコールワットを案内してくれた31歳のガイドさんは日本に一度も来たことがないらしい。バブル時期に日本人が多く来ていたのを見て日本語を学び始めたのだそう。HISと契約していて、取り分はどうなっていたのだろうか。

トンレサップ湖観光は一人25ドルで半日くらい付き合ってもらって、でもあれもかなり運転手とガイドさん、船主さんと関わった人間から考えるとなかなかの金額(あの日は7人もいたけど一人から敢行するらしい)設定なのではないだろうか。

トンレサップ湖の上で、蛇を首に巻いて「1回1ドル」と語りかけていた少女が1日に手にできる金額と、性風俗で1時間で得られる金額、どちらが多いんだろう...。

なんて、よくわからないことに思いをはせました。

日本でもコンビニや居酒屋のバイトをしてる何か国語も話せる留学生が性風俗での稼ぎよりよっぽど安く(月収と日収が並ぶくらいなんじゃないか)働いているのが最近疑問なんですよね。性風俗が高いのは当たり前なんですけど、他のバイト安すぎませんか。

最後の方は愚痴となりましたが、お読みいただきありがとうございました。

 

カンボジアに行ってきました。

個人的な死ぬまでに観たい三大観光地の1つであったアンコールワットを観にいきました。

ちなみにあと2つはカッパドキアとウユニ塩湖です。

 

 さて。今回の旅行はHISの新春売り出しパックを利用しました。JTBの裏切りより日にちは限られるけど安く済むので…。

新春売り出し、過去に一度友達と利用したことがあるのですがその時は店頭受付時間まで待って電話受付の1時間後くらいに申し込んだら希望日が全てソールドアウトという悲しい状態になってました。

なのでその反省も生かし今回は電話受付開始と同時に電話しました。全店舗共通のパッケージなので1番近いお店にかけました。開始5分以内にかけたのですが「あと10席残ってるので取れます!」からの「あっ、更新したら取れませんでした…。本当に申し訳ありません…」が来たので気をつけた方がいいと思います。今回は結果的に別の日で仮押さえしたらなんとか予約取れてたというラッキーがあったので本当に嬉しかったです。

 この時点での支払いは「アンコールトムでの象乗り」オプション込みで70,000弱くらいだったかな?

旅行代理店に直接行くと手続きはやーい(とはいえ1時間強かかったけども)。

 

申し込みが1月頭で出発は1/28、決定したのも12月末というかほぼ1月頭だったので、なかなかの弾丸ですね!前から行きたかったとはいえ。

ツアーにするとその国のいろんな情報に詳しくなくてもホテルまで着けてなんだかんだ満喫出来るから楽ですよね。フランス行った時とは大違いでした。

 

 

さて、カンボジアは入国時にビザが必要です。

今回の旅行は同行者が都内までの定期持ってて暇を持て余していたので2人分カンボジア領事館に直接行って申請してもらいました。行くのに時間とお金かからないなら1番手軽で早いと思いました。

他にもネット、郵送など方法はあります。田舎に住んでたらe-VISAが便利そう。

だいたいどれも30USDで取れます。HIS

の方で代理申請してもらえるサービスもあったけど、3倍くらい取られるので今回は諦めました。

 

前置き長くなったので旅行はざっくりと振り返ります。決して飽きたわけではありません。

 

1/28(1日目)

早朝5:20に駅待ち合わせ。5:27の電車乗る予定で早めの待ち合わせなのに同行者がついたのは5:26…。初めての海外とは思えんくらいの雑さ。朝一番だけは乗り換えなしで成田まで行ける電車があってよかった…。

空港では特にトラブルもなく、過剰にロストバゲッジに警戒してバックパックで行ったため重かったくらい。同行者は何故か金属探知機恐れてベルトを忘れてた。

飛行機では「コーラが通じなかった」と落ち込んでいた同行者。混んでたため席が前後になってしまってたので助けられなかった(助ける英語力もないけど)。

ハノイ乗り継ぎで1時間くらいあったので海外初の同行者に「初めてのおつかい」ごっこ。ベトナムコーヒーを購入。なかなか癖のある味で美味しかった。もっとドロドロに甘いかと思ってた。

ツアーなので他の人達と合流。気が良さそうなご夫婦や慣れてそうな夫婦に話しかける。ホテル行くまでに仲良くなり飲みに行くことを決定。

その夜はアンコールビールを飲み、大いに語り合いました。あとヘナタトゥーした。

解散後、アンコールワット散策用に服をふらふらと買い出しに行くなど。

ついでに2人で飲んでマッサージも受けました。イケメンのお兄さん、爽やかで可愛かった…。

 

 1/29(2日目、ツアー行動)

8:00に間に合えと言ったのに同行者のせいで1分遅刻。他が割と慣れてて年配の方だったから申し訳なかった。

 

午前⇨アンコールトム遺跡群探索。いろんな遺跡があってすごかった(コナミ)

あと象にも乗った。

昔からある建造物が(知識は全くないのに)好きで当時の技術にただただ感動する。あとタプローム寺院みたいな木があとから生えてきて遺跡を壊してしまってる部分はかなり現実離れしていて良かったです。

一生に一度はやっぱり来るべきだった。

 

昼⇨アモックという料理含むカンボジア伝統料理を食べる。私は好き嫌いが多く(主にシチュエーション由来だけど)ほぼ食べれず。1時間あった昼休憩はずっとホテルで寝て過ごしましたとさ。

 

午後⇨アンコールワット。ひたすら歩くのが結構しんどかった。が、ツアー最高齢の69歳の男性が頑張っているのを見ると負けていられないなぁとなんとか登り切ることができた。アンコールワットの第三回廊はとても…とても綺麗でした。あの場所にはまた行きたいと思った。でも散策はつかれる…。

遺跡に実際行ってみて思ったのは、より身近に技術を感じられるということですね。遠目にはただの建物だったのが本当に石を積み上げていて、継ぎ目もちゃんとあることが近くで感じられました。

あと、夕日めっちゃ綺麗。いろんな国の人がいて少し写真の音がうるさかったけど、あれは感動です。

 

夜⇨ビュッフェ形式の料理を堪能しながらカンボジア伝統芸能を見る。ダンス。

ここは綺麗だったしご飯も美味しかった。

ダンスは、幻想的なものと日常を描いたものがあって、私は日常を描いたシーンが好きだった。

帰ってからはクルクメール行ってみたりマッサージ行ったりした。この時同行者にトラブルが起きたけどこれは次の記事で詳しく触れます。

 

1/30(地雷博物館、トンレサップ、バロック、遊園地など)

朝からどんよりとした天気で雨もぱらついたよう。残念なことに天気には恵まれなかった…。

地雷博物館⇨アンコールワットより少し上にある博物館です。アキラさんという方がたてたのですが、日本人のボランティアスタッフがいるとのことで日本語のガイドが充実してました。正直、全く勉強せずに行きました。歴史も、現状も。

ガイドを聞いて自分がいかに平和に恵まれて生きてきたかを知りました。アンコールワットとかと比べて知名度が低いかもしれませんが、足をのばす価値があります。下手したら1番感動したかも。

トゥクトゥクでぼったくられなければもっと感動して終わってた。

 

トンレサップ湖⇨午後の夕日鑑賞で行きました。ネットで色々諸経費払うよりかはツアーの方が楽だしいいよーと書かれてたので個人でツアー予約。一応HISでもオプションツアーつけられるんですが倍近くするので…。

水上生活を見れるのは楽しいけど乾季で水量が多かったのが残念。ちょっとカンボジアの水上「学校」に過剰反応したのは内緒。

水上の観光客向けレストラン兼お土産ハウスで一桁歳くらいの子が商魂たくましく蛇と記念撮影しててびっくりした。

天気悪くて夕日見れなかった…。けど、水が濁っててあんまりいいものではなかった気がする。いや、広大な景色は感動したけども。

 

バロック⇨ご存知ですか?孵化しかけのアヒルの卵。中が育っててかなーりグロいと言われてるものです。東南アジアで食べられていてホビロンとかバロックって呼ばれてます。

フィリピン行った時に試してみたかったんですが、屋台が見つけられず断念してました。カンボジアはあちこちにバロックが売られている屋台がありました。

 

味は、普通に美味しい。

 

いや、びっくりだけど酒のつまみに合いそうな、柔らかいお肉みたいな。肉と卵の中間くらい…。最初にすする汁はすごく鳥の旨味が出てて美味しかった。ただし白身、オメーはだめだ。消しゴムみたいな固さだった。

 

コレギュウ遊園地⇨なんか、マニアック〜な地元の人〜みたいな感じの場所です。観覧車含む大半の乗り物は撤去されてるので行くなら30-60分くらいで十分だと思う。とはいえゆっくり巡るとなかなかに楽しい。ツアーで一緒になった女の子2人と行きました٩( 'ω' )و

観光客向け夜店よりもより現地で着られていそうな服。一家団欒する家族。友達と集まって飲んでいる姿。

管理の雑な乗り物に乗るなどしました。バイキングって言うのかな?左右に大きく揺れる、富士急にあるトンデミーナをしょぼくした乗り物。さすがに始動時手で押さないと動かないのは整備不良すぎない?wと思った。

 

帰ってからツアーの人とカンボジア風バーベキューで飲むなど。同行者がまた夜の闇に消えたけどこれも別記事で。

 

最終日

ワットメイ寺院行ったりスーパー行ったり帰ったり。帽子被らず観光したら頭痛くなった。しんどい。

お土産はスーパーが1番コスパいいってのはどの国も変わらず。

ワットメイ寺院で小学生くらいの子が私たちの姿見かけたときに「マネー?マネー?」って声かけてきた(が、決して近づいては来ない)のが衝撃的。割りとカンボジア学校あるやんけってなったりならなかったり。

 

楽しい旅行でした。(毎回最後息切れしてまとめられないのやめたい)

 

インスタント•コミュニケーション

気付けば自分は集団から必要とされていない雰囲気を感じ取り、集団にいづらい気持ちになる。

人いても誰かと常に繋がれるSNSに逃げ出し、安堵感を覚えてしまう…

そんなコンプレックスを今もなお持ち続けている。

 

サークラアドベントカレンダーの拗らせ自分語り外伝第二弾と思ってください。

自分語りします。拗らせ/性愛?/自分語りに興味ない方はスルーしてください。

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前回の記事で拗らせの定義について

「難しく考える必要のない物事に対して、過度に考え過ぎてしまうこと」

とおいた。今回の記事でもこの認識で話を進めて行きたいと思う。

今回の記事においては今の時点で拗らせている、ことかもしれないし拗らせてもない、ことかもしれない。

 

さて、皆様は初めてSNSに触れたのはいつ、どんなものだろう?

スマートフォンの普及率が劇的に上がり、情報社会と化した昨今に全くSNSに触れたことがない人というのは珍しいのではないだろうか。

私が初めてSNSに触れたのは中学一年生の頃、クラスでも流行っていた「モバゲー」である。腐れ縁のような仲良くない男子に「暇だ、何かすることはないか」とメールをしたところ、URLが送られてきたのがきっかけだ。

あの時、URLを開かなければ私のあれこれに対する拗らせやメンヘラ化は起こってなかったのかもしれないし、どこかでは発露してたのかもしれない。

 

当時のモバゲーはアバターと呼ばれる自分の分身を作ることができた。それにより男か女分かるようになっていた。まぁ、当時ネカマ/ネナベという存在を知っていたら相手を疑っていたのだろうけれど、ほとんどの場合そのままの性別で登録していたように思う。

当時何の知識もなかった私はとりあえず女で登録して友達を作った。

あまりインターネットリテラシーという言葉が流行っていた時期でもないけれど、年上過ぎる男性には個人情報を教えず、設定のしっかりしている年の近い人とだけ友達登録していた。何通かやり取りをしてからブロックするなど、今にして思うと過剰反応していたような気もする。

ミニメと呼ばれるツールで自分の県と違うところに住んでいる同じ年の人とつながれるのはとても楽しかった。

実際にメールアドレスを交換することもあった(当時のモバゲーでは本当に規制が厳しくどんな方法でメアドを伝えてもほぼ必ずペナルティを食らっていたような記憶がある。そしてその状態をペナン島送りと呼んでいたのもいい思い出だ)。

さて、このやりとりこそが私がインスタント・コミュニケーションという表現を思いついたきっかけだ。

 

詳しく説明していきたい。

 

まず、たいていの場合お互い呼び方や生まれ、好きなものについて語る。特に同性よりも異性との方がよくコミュニケーションをとっていた。

まぁ、この時も女性と交流を持って話を続ける方法が分からなかったから、ということが大きな要因となっていたと思う。

同時並行で多い時には5人くらいとメールをして一日にメールボックスを埋めてしまうこともあった。とにかく自分を知らない人とつながれることが楽しかったのだ。

私はよく自分の話をしていた。女の子と話しにくいこと、好きな男の子と上手く話せないこと、自分はずっと死にたいと思っていること。

今から思うとメンヘラ的コミュニケーションはここから始まったのだろう。

いくらでも新しい人に自分の悩みを話した。その時々一番コミュニケーションをとっていた人に疑似恋愛もしていた。疑似、、、いや、その時は本気だったし恋していたともいえるのか。今でも思い出すくらいなので完全にいくつかは本気だったのだろう。まぁ、恋愛に関してはこと男性的で名前をつけて保存しているので今でも割とはっきり思い出せることが多い。

毎日毎日途切れることなくやり取りをし、気づいたら次の相手に移っていた、ってこれなんだったんだろう。本当にコミュニケーションに飢えていた。

一度、サークルクラッシュ同好会に所属し始めた時にホリィに話したことがある。

「人間関係をゲームみたいなものだと思っている」と。

 

ギャルゲー、はプレイしたことないし漫画やアニメのシナリオゲームもあまり経験がないのだが、このやり取り自体を好感度を上げるゲームのように感じている。

まず、個人的なやり取りを出来るツールに移行するのが第一段階。で、入口辺りの会話である程度の仲の良さになるのが第二段階。どんどん悩みを話して第三段階。最近では会うとこが入ったりもするけど、こんな感じで好感度が上がると段階が上がるイメージのゲームのよう。正直、会ったり悩み話したりした時点でクリアしている感覚なので、それ以上深く人と仲良くすることが難しくなっている。

正直、他人の人生ですらゲームや漫画の登場人物の背景のように感じてしまう。あまり思い入れを持てない。いや、記憶力はいいので覚えているけど、ある意味【設定】のように感じてしまう。

話は聞くけれども、あまりきちんとした感情を持っていない。

 

 バイトを転々としていた頃から、それはリアルでも起こるようになった。

最初は自分の設定を作るのにうまく行かず、自己開示も相手の話聞くのも大変だった。そもそも、自己が分からないのだ。初めてのバイトは長期で働くつもりで始めた。友達の紹介だったがうまく馴染めなかった。

短期のバイト、1日で終わるようなものばかりやるようになった。 人ととにかく設定作って設定受けて話すようになった。自分のキャラ作りもどんどん上手くなり、敵を作らない設定でのコミュニケーションが上手くなった。

バイトでのコミュニケーションが好きになった。

短い期間のやりとりでは他人から嫌われないまま終わることができる、ということを学んだ。

 私自身、特に女性または女性的な性格の人から恨まれたり嫌われることが多かったが短期間なら上手くキャラに徹して振る舞うことが出来たのだ。

 最近の私は基本的に初対面時にキャラを作っている。そのおかげ?で誰とでもうまく話せるようになったのだ。

 

私のコミュニケーションは、相手を不快にさせないようトライアンドエラーで身につけた、技術なのである。 

 

インスタント

[名・形動]
1 すぐにできること。手間のかからないこと。また、そのさま。即席。即座。「インスタントなやり方」「インスタントラーメン」

(コトバンク引用)

 

私にとって初対面でのコミュニケーションはある程度定型が出来ており、いつでも、大抵の相手と出来るものになっている。生活やバイトで経験の幅を広めるようにしたため、 色々な人間と接してきた。

しかし、そうでありながら、 いまだに私は学校であったり職場の延長以外に人と会うことが極端に少ない。というのも即席の不快にさせないコミュニケーション以上のものを取らないから相手からいる場以上での接触を求められないのだ。

特に学外、は一時期本当に泣くほど悩んでいた。4,5人でグループを作ってる中で、毎日ご飯食べたり講義出たりしていたのに私(ともう一人)だけ何も誘われずに遊びに行っていた、他の人だけでグループLINEを作られていた、なんてこともあった。

「あなたはバイトで忙しいかと思って」「こういった話に興味がないと思って」

気づくまで放って置かれたのは、当たり前だったのだろうか…。

 

さて、前回のブログでは自分が自分である必要性がない、と締めくくった。今回はこう締めくくりたいと思う。

私にとって、コミュニケーションの相手が【あなた】である必要もない。とにかく数さえこなせれば、どんどんゲームをクリアできるのだ。

 

 

こんな感じで締めくくったもの、未だにこの歳にして「親友」と呼べる存在がいないことがすごく苦しいんです。

しかし、もうこれ以外のコミュニケーションを学べる気がしません…。

さて、この言葉も前回と丸っきり被ってしまいますよね。

どうしたら、私はここから抜け出せますか?誰か救ってくれますか?

 

サークラアドベント(獲得できなかった)カレンダー

この記事はサークルクラッシュ同好会のこじらせアドベントカレンダーを獲得できなかったもののその内容で書いてみよう!という趣旨です。

普段のブログより自分語りもりもりです。

 

 

 

「こじらせ」とはなんだろう。

 

人々が想い想いに言葉を使っているのを見ると自分の中の定義が曖昧になり、自分で言葉を定義することを放棄し、ぐって一番上に出てくる意味を鵜呑みにしてしまう。

 

思えば、最近は意図的に考えることを放棄している。

今回のアドベントに関しても、興味はあったものの文才があり分析力があり学歴がある人たちの名前がプレッシャーとなり立候補のタイミングを逃した。

私は「女性との円滑なコミュニケーション」を得るために思考力を犠牲にしたのかもしれない。

  

さて、こじらせについて自分で言葉で表すことが難しいと述べた。

しかし今回の記事はこじらせについて語るというテーマであり、こじらせについて語ることはほぼマストとなっている。

そこでとりあえずこじらせについての定義は

「難しく考える必要のない物事に対して、過度に考え過ぎてしまうこと」

と置かせてもらいたいと思う。

これはある意味、この考えを持たなくなった今、自分の(これから語る)こじらせは解消されたとも言える。

 

私の拗らせ、それは「コミュ障」だ。

  

 まず、自分がうまく人の輪に入れないと思った一番初めの記憶は3,4歳の頃まで遡る。

そんな年齢のことを記憶出来ているのか、と疑問に思う方もいるかとは思うが、それこそが私の思うこじらせなのだ。

その頃の私は保育園に通う年少の子供だった。両親が共働きだったので一歳から保育園に通っていた。そのため年少ともなるとみんな気心が知れていて仲が良かった。

 

それなのに私は、ただひとこと「おままごとに入れて!」と言えなかった。

 

あの年齢でもある程度カーストが存在し、〇〇ちゃんが始めるおままごとには多くの人が参加し△△ちゃんが始めるとあまり参加しない。人気の道具のあるなしに関わらず面白さが変わる、ということがあった気がする。その時はあまり考えていなかったが、園内に2箇所で同じような設定でおままごとするグループがある時も多かった。

その日もみんなは〇〇ちゃんが始めたおままごとを楽しんでいた。

この〇〇ちゃんは親同士が仲良く、休みの日に特別に遊ぶくらいには仲が良かった。気さくな子で話がうまく、絵も上手、幼いながらも多くの女の子の人気を獲得していた。

私は何故かおままごとの開始のタイミングで外に出ていなかった。昔から行動がゆっくりだったので、単に出遅れたのだろう。

私が外に出た時、みんながとても楽しそうにおままごとに興じていた。もちろん、私もおままごとが好きだったので仲間に入りたかった。

しかし、ふと怖くなった。自分が入ることで設定が変わってしまうのでは?面白くない自分が入るとみんなつまらなくなってしまうのでは?本当に、仲間に入っていいのかな?

考え始めるともう、ダメだった。

「おままごとにいれて!」

の一言が出てこなかった。

結局私はその日先生の元に行った。おままごとに入りたいの、と伝えた。先生は何のことなく「仲間に入れてあげてね」と私を入れてくれた。みんなもなんてことなく受け入れてくれた。

しかし、自分の心には上手く馴染めなかったという記憶が残った。

 

 そこからの人生は上手く輪に入れない、コミュニケーションの些細なミスを気にしすぎる人間となった。

 

小学生になりたての頃。作文で「お父さん」と表記したら友達に「誰のですか?」というコメントをつけられたこと。

下ネタが流行った二年生の頃、ノれずに泣いてしまったこと(下ネタが嫌だったのか、自分が言っても滑るという確信があったのか)。

クラス内カースト上位の子に放課後遊びに誘ってもらえたのに、門限守って早く帰ってしまったこと。

修学旅行では一番の友達と喧嘩して、誰とも話せなくなったこと。

私は、できるだけ誤解を生まないコミュニケーションを心がけた。それでも、自分が「浮いている」ような「面白くない人間」であることを常々感じていたのだと思う。

 

中学ではもっと悪化した。

私はこじらせたのだ。人との関わり方を。

友達だと思ってたのに、影で「あの子は偉そうだ」と言われてきた。

バカにしたつもりはなかったのに「見下された」と因縁をつけられ、逆にいじめられるようになった。この辺りに関しては正直、あまり思い出したくない。

運も悪かったのだと思う。比較的親に甘やかされ色々なものを買い与えられてきた私が母子家庭の子に僻まれた、というのはあったのかもしれない。

いじめられている期間、私は男子とばかり仲が良くなった。空想科学のような話をしている間は自分も面白くなり、色々な発想が出てくるような気分だった。

でも、女の子と仲良くしたかった。

ずっと羨望の眼差しを向けていた。みんなが何を話してるのか、(例えそれが自分の悪口であったとしても)耳をすませた。どんな話題が受けているのか、記憶するように頑張った。

たまに女子と話すとき、自分がつまらなくないか気にしてしまって、上手く話せなくなった。

部活では女子ばかりだったのに、上手く話せず、人が怖かった。

それでもなぜか一匹狼だと捉えてもらって、参加する分には後輩に憧れられるなど、それなりの地位を得られた。

 

高校では、女子との関わりをほぼ全て絶った。

漫研に所属し、一部のスクールカースト最下層(こんな書き方をすると本当に見下しているようだが、私は純粋にカーストを気にしていなかった彼女たちが大好きだ)の人と、気が向いた時に週に一回話すくらいしか関わりを持たなかった。

部活は男子が多いところに入り、それなりにたのしくやっていた。中学の頃と変わらず、男子とはそれなりに喧嘩をしないでやっていけた。

クラス内では誰とも話さず、放課後だけ人と話す。そんな環境は別に楽しくなくて、他人もあまり信用できず、ふらっと留学したりもした。

一年いた留学先では寧ろ、コミュニケーションが取れない異国人だからこそのコミュ障が許される場で、意外と居心地が良かった。

だが、私は「女の子ってすぐハブにするからきらーい!男の子と仲良くする!」と割り切れるタイプでもなければ「日本はダメ。海外こそ至高」と永住するタイプでもなかった。

そこで、女子とのコミュニケーションを円滑に取れるようになるための荒療治を思いつく。女子大に行くことだ。

 

 受験話は割愛。

とりあえず女子大に受かって家から通うことになった。

 そこからは、ある意味拗らせを解消でき、ある意味ますます拗らせた。

ひたすらトライアンドエラーを繰り返した。とにかく色々試した。

バイト先を変え、仲のいい友達を変え、所属を変え、Twitterコミュニティを変え…。 

今までも人間をひたすら観察し、人との距離感も保てるようになった自分は、それなりにコミュニケーションが取れるようになった。しかしそれは面白い話ができるコミュニケーションではなくあくまで「相手を不快にさせない」コミュニケーションである。

女子大という特殊環境、人に気を使う接客バイト、自分からあちこちに行き人と会う。

むしろ自分のとっかかりの会話には自信も持てるようになってきた。

しかし、最近新たに疑問が湧いてきた。

 

私の、このコミュニケーションは、何のためにあるんだろうか。

何のために、人と話しているのだろうか。

 

相手の話を聞くことはとても楽しい。

人の考えはきちんとしていて憧れる。

特にサークラの人たちは色々なことを深く考える癖がついてる人が多く、知識

に裏付けされた話は面白い。

 

私の話は?

 

そつなく会話は出来るけど、思考を放棄し相手に合わせた会話だけでは、「自分」が必要ない。

相手の「暇つぶし」にはなれても「会話相手」にはなれない。

結局、私がコミュニケーションをこじらせている間に、私はどんどん人生をこじらせていった。

このこじらせは最初に私の置いた意味でのこじらせたは異なるのだろう。

私には、もう今から勉強して自己研鑽する元気はない。

もはや「相手を不快にさせないコミュニケーション」は癖になっている。

 

 

 

よく、コミュ障と言ったら否定されるのだけれど、私には「面白い話」をする能力がなくて、「自分も相手も楽しいコミュニケーション」をとる能力に障害があるから、ずっとコミュ障なんです。

どうしたら、ここから抜け出せますか?