生きた記録

自分が生きてきた記録をジャンル問わず書こうと思います。

小説記載

朝の蜘蛛は仇でも逃がせ、夜の蜘蛛は

 

友達(ごんちゃん)原案、構成で書いた自作小説供養します。感想とかいただけたらまた書きます。

 

結構ざっくりとした短編です。生きた記録ではないのでスルーしていただいても結構です。

 

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〈いや、いや、これも小さいながら、命あるものに違いない。その命を無暗にとると云う事 は、いくら何でも可哀そうだ〉 朝登の頭には昨日読んだ『蜘蛛の糸』のセリフが浮かんでいた。苦手な蜘蛛を目の前に冷静 にこんなことを考えられるくらいには印象に残る話だった。 朝から蜘蛛が出るなんて、と嘆きながらこわごわ外に追い出した。 「カンダタなんて罪人も、蜘蛛を殺さなかった点を評価されたんだし、俺のこの優しさも見 ていてくれよ、お釈迦様」
朝登がその本を読み始めたのは大学の課題がきっかけだった。付き合いでとった、楽単と噂 の仏教入門の授業。まさか今年から担当講師が変わってこんなに課題に悩まされるとは思 わなかった。元来、真面目な性格ではなかったが、仏教の授業はなかなか面白く友達が単位 を諦めた後も出席を続けていた。 「テストに出るだけでS評価とれるって聞いたからこの授業に誘っただけで仏教なんて古 臭いもんキョーミないや。オレ、【バイト】で忙しいんだよね。遊べないのはゴメンけど、 また連絡してよ。飲みなら行くから」 古くからの親友であったはずの誠夜はそんなつれないことを言って第2回から来なくなっ てしまった。なんて薄情なものだろう。 朝登と誠夜は二人で上京した、イナカモン仲間だ。何をするにもいつも一緒で、周りから兄 弟に間違われることもあるくらいだった。地元から出る人間の少ない村で、二人協力して親 を説得したのも良い思い出となっている。そんな仲の良い二人だったが大学に入ると時間 が合わなくなり、次第に距離もできてしまっていた。学部の違う二人は教養科目を除くと学 内で接点がない。そんな生活が一年続き、お互い寂しさを感じていた春休みのはじめ、せめ て週に一度は授業終わりに遊びに行こう、この授業終わりは近況報告を、と揃えたはずの授 業だったのに、人の心はよく変わるものだ。 回が進むとほかの履修者もやれバイトだの、やれ授業のレポートだのと減ってしまった。
今年から仏教入門を担当するようになった講師、真昼は授業を持つこと自体が初めてだっ た。そのためか課題は毎回出されるが提出したレポートを読み込んで、コメントを書き込ん でから返却してくれる。朝登を誘った誠夜のように単位を諦めた学生が多かったこともあ るのだろうが。授業自体の評価よりも楽さで履修する現金な学生からすると少々負担が重 いようだった。教室から溢れるほどいた履修者も今では両手に収まるほどだ。 最近、会えなくなってからの親友の動きが気になりつつも、朝登は自分の学生生活を堪能し ているのだった。高校生の時は良くも悪くも明るく何も考えていないような誠夜が好きだ ったのに、今の様子は考えが浅い方が前面に出ているのであまり好きではなくない。進級の要 件は満たしているようだが、悪い先輩達に染まってしまっているようだった。 「はー、人は変わるもんだなぁ。諸行無常


〈ここへ来てから何年も出した事のない声で「しめた。しめた」と笑いました〉 自分が働くことなくお金を手にできた誠夜は、一人ほくそ笑んだ。女の子に声を掛けるだけ で、大学生がバイトで稼げる額を優に越した金額が振り込まれる。優れた容姿ではないもの の人懐っこい笑顔と場を盛り上げられる話術で、多くの女の子を夢中にさせてきた。 「ほら、人間ってジコチューな生き物だからさ、ゴメンね。この罰は地獄で受けるから、今 だけは見逃してね、カミサマ」
田舎で生まれ育ち、親からもらえるお小遣いも高校まで一律 3000 円と多くはない金額だっ た。それでも不便、不足を感じることもなく過ごしてきた。田舎では、お金を使わない遊び を無限に思いついたし、朝登といるだけで毎日が楽しかった。そんな誠夜だったが、ここ東 京では全く違った。次から次に移り変わる流行の服、幾度となく開かれる飲み会、サークル で行く合宿代に女の子と遊ぶ軍資金、といくらあっても余ることはなかった。 田舎から出てきた誠夜は、親からの仕送りがなかった。家賃を出してもらう代わりに遊ぶお 金や生活費は自分で賄うことが東京に行かせてもらう条件だった。とはいえ、学生のバイト で稼げるお金はたかが知れている。誠夜は万年金欠に悩まされていた。 そんな時にサークルで知り合った先輩から教えてもらったのが、このバイトだった。 女の子を一人紹介すると 5 万円。その子が稼ぎ始めたらその子にいく給料からバックが入 る。紹介した女の子がすぐに逃げてしまったら罰金として 10万円。これが誠夜に課せられ た、【バイト】の条件だった。最初は紹介だけで一か月分のバイト代がもらえるのが嬉しく て、善悪の判断も出来ずに紹介をしていた。そのうちに紹介した女の子がどんな目に遭うの かを知って、罪悪感に苛まれることもあった。自分が声を掛けた、素朴で素直な可愛い女の 子達が、望まぬ性行為をさせられていることに、心が痛まない訳がなかった。田舎にいた時 には会ったことのないような、残酷で狡猾な大人がいっぱいいた。 女の子と遊ぶことは楽しかったし、紹介した子でも楽しんで仕事をしている子もたくさん いた。始めはちゃんと説明をして、自分から働きたいと言ってくれる子だけを紹介していた 誠夜だったが、先輩に話術やコツを教えてもらってからは自分に都合のいいように女の子 を騙すことも増えてきた。人から恨まれることなんて、どうでもよくなっていた。悪いこと をしている自覚はあったが、どこかで騙される方が悪いんだと自分に言い聞かせていた。
自分が騙した女の子を町で見かけるたびに、親友の姿が思い出された。朝登は正義感が強い やつだった。いじめられている子がいれば話を聞いて味方になってあげるし、街で困ってい る人がいたら躊躇わずに声を掛けに行ける。自分がこんなバイトを始めてからは、朝登に合 わせる顔がなくなってしまった。話したら絶対に止められる。それだけならまだしも親に言 われるかもしれない。そんな想像が自分を親友から遠ざけた。いや、しかし何よりもきっと 親友に見捨てられることが怖かったのだろう。 「こんなの知られたら、もう会ってもらえないかな。自業自得」


【朝の章】 仏教入門の授業を受ける前までお釈迦様と聞くとアフロ姿ぐらいしかイメージ出来なかっ たけど、今ではあの髪が螺髪と呼ばれていて、本名はシッダールタという名前、ブッダは悟 った人なんて意味だと説明までできる。
昨年度まで助教だった真昼は自分たちと近い感覚で話も面白い。若くして授業を持てるな んてとても優秀なはずなのに、そんなことを感じさせないフランクな授業がとても新鮮で 好きだった。ほかの授業は偉そうにしたオジサンが難しい話をしかめっ面で話すだけだか ら。 ねぇ、みんなこんな話は知ってる?と語り始める、仏教のエピソードはどれも興味深かった。 ただ、いかに楽に単位を取って遊びに時間を費やすかを考える誠夜のような学生には毎回 の感想レポートが重荷になるようだった。 「今日の話は、もしかしたら小学校の国語で習った人もいるかな。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』。 これは仏教の話と道徳の話と半々になっちゃうかもしれないんだけど、さっそく始めてい きたいと思います」
その話のあらすじはこうだ。 主人公はカンダタという大泥棒。地獄に落ちた彼の様子をお御釈迦様が見かける。彼が以前 に蜘蛛を助けていたことから、お御釈迦様によって細い糸が救いの手として差し伸べられ た。それにすがるカンダタだが、地獄にいる他の人たちも救いを求めてその糸に縋る。結局 重さに耐えきれなかった糸が切れてしまい、みんな揃って真っ逆さまに落ちていく。
救いがあるんだかないんだか、よく分からない話だった。正直、お釈迦様もぬか喜びさせる なんて残酷だと思った。自分は仏教徒ではないし、この授業以外で善悪なんて考えたことも ない。この話から意味を見出すのも難しい。 「今回の課題は、この話の教訓についてのレポートです。いつもみたいに A4 一枚で文字数 の制限はなし。んで、次回が最後の授業だからそこで発表してもらおうと思います。あ、発 表と言ってもみんなでこの授業の感想とか、分かりにくかったところとか話しながら次回 以降の私の授業に活かせたらなーって思っているだけだから気楽に来てね」 真昼先生の話はこう締めくくられた。みんなで話すなら、テキトーなことは書けないな。そ んな考えのもと帰り道に本屋で芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を買って帰った。本屋で小説を買 うのなんて何年ぶりだろうか。慣れない読書はなかなか進まない。やっぱり自分には真昼先 生の読み聞かせの方が性に合っている。
「えーっと、カンダタは、足を、」 つい口に出てしまうので、おしゃれなカフェで読むのはあきらめた。家に帰って一人で読ん でいると、いつの間にか寝てしまったようだった。


「さー、前回の課題は持ってきた?今日は最後だし、来てくれた人の話次第ではレポート関 係なしに単位あげようかなー、なんてね。さて、誰から話してくれますか」 ざわつく教室の中、興奮冷めやらぬまま一番に立候補していた。 「僕は今日、蜘蛛に命を救われました」 生徒のざわめきは一層強まった。気にせず話を続ける。 「カンダタの話を聞いた次の日、僕は部屋で見た蜘蛛を逃がしました。その蜘蛛の恩返しか もしれません」 一息に話し切ると満足して真昼先生を見た。真昼先生は少し驚いた表情をして聞いてきた。 「それは、どんな物語があったのかな。もっと詳しく聞いてみたいです」 朝の出来事に思いを巡らせた。目の前に突如現れた蜘蛛、その一歩先に突っ込んできたトラ ック、周りの悲鳴、見慣れた景色が一変する様が、今もまだ瞼から離れない 「朝、歩いてたら周りに何もなかったのに、急に蜘蛛が下りてきて、それで、えっと、その 目の前にトラックが突っ込んできたんです。俺、蜘蛛嫌いだからびっくりして下がったら、 奇跡的に事故にならなくて。運転手さんも軽症で済んだってことで警察からもすぐ帰れま した。蜘蛛の恩返しだーって感動して、それで」 せっかく伝えやすいように言葉を整理していたはずなのに、どうしても興奮が抑えきれな い。早口になってしまっているのが自分でもわかる。落ち着け、落ち着くんだ自分。 「普段から悪いことはしてないけど、命を大切にすると救われることもあるって思いまし た。道徳とか、この前の話よりもっと子供っぽい感想になっちゃうけど、自分以外にやさし くしようって思いました」 一息に話し切ると全身から力が抜け、座り込んだ。こんなに興奮したのはいつ以来だろう。 「はい、一番目の発表ありがとう。まず、ケガとかは本当にしてないのかな。トラックから 飛んできたガラスの破片とかでケガしてたら大変。」 「それは大丈夫です。朝、現場居合わせてから念のためって病院と警察行きましたもん。な んか、トラックの運転手さんも猫を避けたって言ってるみたいで、警察とは揉めてましたけ ど。俺の方はすぐに解放されて、この授業も間に合いました」 「それはよかった。連絡つかなかったら最後来ない人には単位あげないからね」 真昼先生がいたずらっぽく笑い、教室からも笑いが起こった。落ち着いた僕は一気に恥ずか しくなってきて、少しうつむく。 「さて、授業の話に触れようか。仏教には『忘己利他』という考え方があります」 その後の真昼先生の最後の授業はつつがなく終わった。僕は誠夜に連絡をした。
今日、不思議なことが起こったんだ。誠夜にも話したいから久しぶりに会いたいな。 急だけど、今夜飲みに行こうぜ。飲みの誘いなら乗ってくれるんだよな? いつもバイトしてお金あるんだから奢ってくれよ。連絡、待ってる!
大親友の朝登より


【昼の章、ある居酒屋にて】 「ごめん、遅くなった!てか朝登まじ久しぶり。元気そうでよかったよ」
約束の時間から 30 分過ぎた頃、誠夜は姿を現した。 「もう来ないかと思った。お前こそ元気そうじゃん。てか俺もう酔ってんだけど」 先に飲み始めた朝登はもう出来上がっていた。酒に強くないからと普段は飲まない朝登が 酔っているのは珍しいことだった。 「いやー、ほんと久しぶり。誠夜に会えなくてめっちゃ寂しかったんだからな」 酔った朝登からぽろりと本音が零れる。誠夜は一瞬傷ついた顔を見せるがご機嫌な朝登は 気づかない。何か言いたげな誠夜を気にせず、朝登は続けた。 「そうそう。俺今日の朝死にかけたんだよ。歩いてたら目の前にトラックが飛び込んできて さ。あと一歩間違えてたら死んでたね。即死だよあんなん」 「は、何それ。大丈夫なの。夢でも見たのかそれとも飲みすぎたの」 「今さ、誠夜に誘われた仏教入門で『蜘蛛の糸』読んでてさ。って言っても授業中に真昼先 生が話してくれたの聞いて、最後の課題だからって意識高く買ってみただけなんだけど」 「『蜘蛛の糸』って聞いたことあるな。なんか変な奴が蜘蛛助けるんだっけ」 「そうそう、カンダタな。大泥棒が気まぐれで蜘蛛助けたらそれがきっかけでお釈迦様に救 いをだしてもらう話。それ読んだから、俺も部屋に出た蜘蛛を逃がしてやったんだよ」 「虫嫌いのお前が珍しいじゃん。んで、それが今の夢の話とどう関係あんの」 誠夜は朝登の話をまだ信じていない。そもそも日常で死にかけるような場面の想像がつか ないようだった。少し馬鹿にした様子の誠夜の態度を気にもかけずに朝登は話し始める。 授業で話した時よりもよっぽど興奮しており、さらにお酒も入っているため、朝登の話は要 領を得ない。だが、誠夜にはそれも懐かしいようだった。 「鶴の恩返しならぬ蜘蛛の恩返しだわ、あれ。助けた蜘蛛が俺の命を救ってくれるんだもん。 誠夜も蜘蛛は助けた方がいいぞ。いつか助けてくれる」 「おーおー分かった。朝登が言うなら間違いないな。俺も蜘蛛を見たら殺さないで助けるわ。 そーいや最近さ、先輩がな」 話も移り夜はどんどん更けていく。さすが仲の良い二人だけあって会話が途切れることも ない。誠夜は朝登に比べ酒が強い。こんな時、酔っ払ってでも話すことが出来たなら、今な らまだ止めてもらえるのか、そんなことを考えながらも誠夜は話すことができない。せっか く楽しいこの時間を台無しにしないよう、バイトの話に近づかないように気を付けている。 朝登からのバイトに関する質問があった時も「お前の顔じゃ無理だよ」なんてふざけて返し て見せた。朝登は外見が悪いわけではないが、田舎から出た時から一切変わらない自分の容 姿を恥ずかしく思っているときがあるようだった。 「田舎にいた頃は同じようなレベルだったのに、誠夜はすげぇや。また、そのうちバイトの ことも教えてほしいよ。ところで夏休みは帰んないの?」 「あー、考えておく。ほら、バイトの穴開けらんないからさ」

 


【夜の章】 楽しそうに話していた女の子の顔が溶けていく。声にならない声を出す。タスケテ、と言っ ているようにも聞こえる。苦しそうな声から逃げるように走り出すが、体がうまく動かない。 目の前まで迫ってきたところで、誠夜は汗だくで目を覚ました。枕もとの時計は深夜 2 時 を指していた。 「はー、また変な時間に目覚ましちまったよ。いい加減扇風機じゃダメかな」 親が家賃を出してくれている下宿は、お世辞にも快適とは言いづらい。1Kで冷暖房なし。 それでも村で家を借りるよりも何倍も高い賃料を払っている。こんなにも東京が住みづら いって知っていたら、出てくることなんてなかったのになど嘆いても後の祭り。親にあれだ け反対されても出てきたのは自分だった。バイトも大分慣れてきて、安定して稼げるように なってきた。いっそ自分で家賃を払って引っ越そうかとも思うが、親になんと説明するか考 えるとなかなか踏ん切りがつかない。 「とは言えこの暑さじゃ死んじまうよな。いい加減どうにかしなきゃな」 朝登は学校の寮に入っていた。合格が決まってから親が協力的になったのもあり、家探しは 力を入れて行っていたようだった。仕送りも、生活が送れるくらいにはもらっており、しか も朝登は部活に入ったため、飲み会や服飾費が自分ほど掛かってないようだ。入ったころか ら練習に時間を取られてしまうと愚痴っている割には楽しんでいる。俺も部活に入ってい たら、こんなに金欠が気にならなかったのかな。とはいえ、生活のためにバイトをいれてい たわけだし、変わらないかと自己完結する。こんな後悔を後何度すれば良いのか。 そんなことを考えていたら、ふと目の端に黒いものが映った。よくよく見てみると、大きな 蜘蛛だった。大きいからか動きが鈍い。 「うわっ、さすがにこの大きさになるときもいな。えーっと、なんか紙なかったかな」 潰すために紙を探し始めた誠夜だったが、ふと朝登の話を思い出した。これもなんかの縁か、 と紙に乗せて蜘蛛を外に追い出した。 「まぁ、俺はもう救われることはなさそうだけど、朝登の話は信じてみたいからな」 誰に言うでもなく呟いてみたものの、やはり俺くらい悪いことをしていたら救われないと 思う。せめて、こんなバイトを辞められれば、朝登と前みたいに仲良くできんのかな。 蜘蛛を助けるだけで救いがあるのなら、これから先何度でも助けます。だから、どうにか朝 登と前みたいに遊べますように。祈る真似をしていたら、携帯が光っていることに気づいた。
明日、会って話せませんか?誠夜君にまた会いたいです。
あきら


女の子から届いたメッセージを見てげんなりする。あきらは三日前にシゴトを紹介した子 だった。先輩達から習った通り、信用させるためにシゴトの紹介前にはデートのようなこ とをしている。自分を信用させてからの方が長く続けてもらえるし、稼ぐことにも積極的


になってくれるのだという。女の子と遊ぶのは楽しかった。もともと人と話すのは好きだ ったし、それがお金に繋がるのなら万々歳だった。ただ、もう今では過去形だ。やはり自 分が騙している自覚もあるし、悪い方向に変わる子を見ると罪悪感も沸く。さっきの夢の ように、普段気にしていなくとも蓄積しているようだった。 「んー、明日は予定もないし昼くらいならいっか。あんまり期待させんのも悪いけどね」
あきらに会う前に、少し街をぶらつこうと早めに家を出た。 東京の街の雑踏は嫌いじゃなかった。人混みの中にいると、安心できた。今日はバイトで はないが、癖で女の子を観察してしまう。足早に歩いていく子、男と歩いてる子、ちょっ とつつけば堕ちそうな子。見ているだけで想像が出来る。 街中に溢れるお洒落なもの。次から次に現れるオモチャ。開店したと思ったら潰れていく 新しいレストラン。いくら時間があってもお金があっても、この町は制覇出来ない。 来る前に想像していた東京は、こんな感じだっただろうか。
俺ももしかしたら、先輩達からしたらカモだったのかもな。東京に憧れて出てきたイナカ モンで、素直で少し考えが足りない。扱いやすい駒なのかな。そんなマイナスの考えが出 てくる。もちろん自分がいまもらっているお金は大学生の平均的なバイト代よりはよっぽ ど多い。それでも先輩達と比べると少ないように感じてしまう。特に、先輩たちはもう女 の子を紹介しなくてもお金をもらっているようだった。俺みたいな田舎出身の奴らにノウ ハウを教えるってことで、マージンを取っていた。 「そろそろこんなこともやめ時かなぁ。いや、やめたら生活できないかあ」 つい口に出してしまうが、周りは気にもかけない様子だった。東京のこんなところは、ち ょっと寂しい。
あきらは約束の時間ちょうどに現れた。 今日も彼女は落としやすい子の特徴を体現したかのような格好をしている。服装に似合わ ず傷んだ靴、プリンになった頭、ボロボロになるまで使い込んだブランドのカバン、そし て何よりも、自分への自信を一切感じさせない猫背。 「あ、ごめん。待たせちゃったかな。人が多いところってどうも慣れなくて」 就職と同時に東京に出たというあきらは親しい友人がいないようだった。そんな女の子は 本当にこのシゴト紹介がしやすい。 「いや、まだ来たところだったしへーきだよ。最近どーよ」 軽い口調で親しくなってあげれば、俺から逃げられなくなる。そんな女の子は何人も見て きた。あきらは安堵した表情を見せる。そんなちょろいから、狙われるのに。 「よかったー。誠夜君忙しそうだし、すぐ帰っちゃうかと思った」 「いやいや、どんな鬼畜のイメージよ俺。さすがに約束破ったりしないっての」

 

「でも誠夜君みたいな素敵な彼氏ができて嬉しいなー。友達にも自慢しちゃった」 あきらの言葉に素直に驚いた。付き合った記憶はないが、あまり雑にも扱えない。 「あー、そういえばランチ、イタリアンでいいかな。素敵な店があるんだ」 「ねぇ誠夜君、私たち、付き合ってるってことでいいんだよね」 せっかく話を逸らそうとしたのに、うまく乗ってくれない。 「んー、俺もっとあきらちゃんのこと知ってからがいいなー。ほら、まだ知り合って日が 浅いじゃん、俺ら。もっとデートしてからでもいいと思うんだよね」 こーゆータイプの子は、一度付き合ったと認めると後々面倒なことになると、経験から学 んでいた。傷つけないように、肯定もしないように、ひっそりフェードアウトに限る。 「そういってもう会ってくれないつもりでしょ。私、昨日見ちゃったんだよ。他の女と仲 良く話しているとこ。それで、まさかと思って後を追ったら、ホテルに消えて行って」 雲行きが怪しくなってきた。どう言い訳をするか迷っている間にも、あきらは続ける。 「私、初めてだったんだよ。それに、シゴトも私と付き合ってくれるからって我慢したの に。ねぇ、ひどいよ。絶対に許さないんだからね」 あきらの目には涙が溜まっている。通行人の視線を集めていることが分かった。泣いてい る女の子相手に話をするにはこの場所では分が悪い。 「ね、場所変えようよ。美味しいご飯食べて落ち着いてから、ちゃんとゆっくり話そ」 慌てて宥めたが、あきらには届いていないようだった。手に持っていた鞄から、包丁が出 てきた。周囲からは叫び声も聞こえた。 「許さない。許せない。誠夜君を殺して私も死ぬから。」 あきらは虚ろな目で迫ってくる。まじかよ、こんなの想像してなかった。 「ちょ、落ち着いて。ちゃんと付き合うために話そう。ほら、そんな物騒なもんは置い て、一回深呼吸しよう。な」
「許せない、許さない、許さない、騙すなんて許さない」 あきらは急に走り出し、ぶつかってきた。脇腹に鋭い痛みを感じた後、意識が途切れた。
【昼の章、都内の病院にて】 誠夜が目を覚ますと、見たことのない天井が目の前に広がっていた。 「ここ、どこだろう。俺なんでこんなところに」 脇腹の痛みが、一気に現実に引き戻す。そうだ、女の子に刺されたんだった。 「目を覚ましたのか、心配したんだぞ。お前何してんだよ」 焦った朝登の声が狭い病室に響いた。こんな声を聞いたのはいつ以来だろう。 「今おばさん達一回ホテル戻ったよ。昨日付きっ切りでいたからって疲れたみたいで俺と 交代で休みに行った。お前ほんっと何してんだよ、心配させやがって」 「俺、どうなったの。あきらちゃんは」
掠れた声で誠夜が問いかける。


「街中で刺されて、そのまま病院。二日目を覚まさなかったよ。あきらってのは刺した女 か?それなら今頃警察にいるんじゃねぇか。そっちは分かんねぇ」 「あきらちゃんに悪いことしちまったな。俺、騙してさらに警察にいれちゃうなんて」 「お前馬鹿かよ。なんで、刺された側が悪いなんて。どんだけ心配したと思ってんだ」 朝登が怒鳴るように言った。誠夜は申し訳なさそうな顔をして、続ける。 「俺、バイトって言って女の子を騙してたんだ。だからバチが当たったみたい。やっぱ悪 いことはするもんじゃないな」
力なく笑った誠夜は、視線を外した。 「お前がなんか悪いことしてるのは、薄々分かってたよ。よくない噂のある先輩達とつる んでるのも。でも、何も相談してくれないし、こっちから聞けなかった」 「言えるわけないだろ、朝登に。だって、悪いことしてるなんて知られたら、嫌われる」 「そんなことで嫌わねぇよ。そんなことよりお前が死ぬ方が嫌に決まってんだろ。目を覚 ますまで、俺がどんな気持ちだったか、分かんねぇだろ」 もはや叫び声に近い朝登の言葉の後、病室に静寂が流れた。その静寂を破ったのは誠夜だ った。
「いやー、朝登に言われた通り蜘蛛を助けたのに、ダメだったな」 「ここから変わっていけるきっかけだよ、これは。もう、バイト辞めよう。それで、悩み とか分かんねぇことがあるなら俺に話してくれよ。俺たち、親友だろ」 誠夜は驚いたように目を見張った。そして静かに泣き出した。 「俺、もうやめるわ。親にも、朝登にもちゃんと話すわ。犯した罪がなくなるとは思えな いけど、少しずつ償っていく」


ラジオからはニュースが流れていた。

「犯人のーー昼(あきら)さんは犯行に関し、名前にコンプレックスがあり褒めてもらえたのが嬉しかった。そのため裏切られたようでかっとなってしまったと供述しておりーー」