生きた記録

自分が生きてきた記録をジャンル問わず書こうと思います。

インスタント•コミュニケーション

気付けば自分は集団から必要とされていない雰囲気を感じ取り、集団にいづらい気持ちになる。

人いても誰かと常に繋がれるSNSに逃げ出し、安堵感を覚えてしまう…

そんなコンプレックスを今もなお持ち続けている。

 

サークラアドベントカレンダーの拗らせ自分語り外伝第二弾と思ってください。

自分語りします。拗らせ/性愛?/自分語りに興味ない方はスルーしてください。

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前回の記事で拗らせの定義について

「難しく考える必要のない物事に対して、過度に考え過ぎてしまうこと」

とおいた。今回の記事でもこの認識で話を進めて行きたいと思う。

今回の記事においては今の時点で拗らせている、ことかもしれないし拗らせてもない、ことかもしれない。

 

さて、皆様は初めてSNSに触れたのはいつ、どんなものだろう?

スマートフォンの普及率が劇的に上がり、情報社会と化した昨今に全くSNSに触れたことがない人というのは珍しいのではないだろうか。

私が初めてSNSに触れたのは中学一年生の頃、クラスでも流行っていた「モバゲー」である。腐れ縁のような仲良くない男子に「暇だ、何かすることはないか」とメールをしたところ、URLが送られてきたのがきっかけだ。

あの時、URLを開かなければ私のあれこれに対する拗らせやメンヘラ化は起こってなかったのかもしれないし、どこかでは発露してたのかもしれない。

 

当時のモバゲーはアバターと呼ばれる自分の分身を作ることができた。それにより男か女分かるようになっていた。まぁ、当時ネカマ/ネナベという存在を知っていたら相手を疑っていたのだろうけれど、ほとんどの場合そのままの性別で登録していたように思う。

当時何の知識もなかった私はとりあえず女で登録して友達を作った。

あまりインターネットリテラシーという言葉が流行っていた時期でもないけれど、年上過ぎる男性には個人情報を教えず、設定のしっかりしている年の近い人とだけ友達登録していた。何通かやり取りをしてからブロックするなど、今にして思うと過剰反応していたような気もする。

ミニメと呼ばれるツールで自分の県と違うところに住んでいる同じ年の人とつながれるのはとても楽しかった。

実際にメールアドレスを交換することもあった(当時のモバゲーでは本当に規制が厳しくどんな方法でメアドを伝えてもほぼ必ずペナルティを食らっていたような記憶がある。そしてその状態をペナン島送りと呼んでいたのもいい思い出だ)。

さて、このやりとりこそが私がインスタント・コミュニケーションという表現を思いついたきっかけだ。

 

詳しく説明していきたい。

 

まず、たいていの場合お互い呼び方や生まれ、好きなものについて語る。特に同性よりも異性との方がよくコミュニケーションをとっていた。

まぁ、この時も女性と交流を持って話を続ける方法が分からなかったから、ということが大きな要因となっていたと思う。

同時並行で多い時には5人くらいとメールをして一日にメールボックスを埋めてしまうこともあった。とにかく自分を知らない人とつながれることが楽しかったのだ。

私はよく自分の話をしていた。女の子と話しにくいこと、好きな男の子と上手く話せないこと、自分はずっと死にたいと思っていること。

今から思うとメンヘラ的コミュニケーションはここから始まったのだろう。

いくらでも新しい人に自分の悩みを話した。その時々一番コミュニケーションをとっていた人に疑似恋愛もしていた。疑似、、、いや、その時は本気だったし恋していたともいえるのか。今でも思い出すくらいなので完全にいくつかは本気だったのだろう。まぁ、恋愛に関してはこと男性的で名前をつけて保存しているので今でも割とはっきり思い出せることが多い。

毎日毎日途切れることなくやり取りをし、気づいたら次の相手に移っていた、ってこれなんだったんだろう。本当にコミュニケーションに飢えていた。

一度、サークルクラッシュ同好会に所属し始めた時にホリィに話したことがある。

「人間関係をゲームみたいなものだと思っている」と。

 

ギャルゲー、はプレイしたことないし漫画やアニメのシナリオゲームもあまり経験がないのだが、このやり取り自体を好感度を上げるゲームのように感じている。

まず、個人的なやり取りを出来るツールに移行するのが第一段階。で、入口辺りの会話である程度の仲の良さになるのが第二段階。どんどん悩みを話して第三段階。最近では会うとこが入ったりもするけど、こんな感じで好感度が上がると段階が上がるイメージのゲームのよう。正直、会ったり悩み話したりした時点でクリアしている感覚なので、それ以上深く人と仲良くすることが難しくなっている。

正直、他人の人生ですらゲームや漫画の登場人物の背景のように感じてしまう。あまり思い入れを持てない。いや、記憶力はいいので覚えているけど、ある意味【設定】のように感じてしまう。

話は聞くけれども、あまりきちんとした感情を持っていない。

 

 バイトを転々としていた頃から、それはリアルでも起こるようになった。

最初は自分の設定を作るのにうまく行かず、自己開示も相手の話聞くのも大変だった。そもそも、自己が分からないのだ。初めてのバイトは長期で働くつもりで始めた。友達の紹介だったがうまく馴染めなかった。

短期のバイト、1日で終わるようなものばかりやるようになった。 人ととにかく設定作って設定受けて話すようになった。自分のキャラ作りもどんどん上手くなり、敵を作らない設定でのコミュニケーションが上手くなった。

バイトでのコミュニケーションが好きになった。

短い期間のやりとりでは他人から嫌われないまま終わることができる、ということを学んだ。

 私自身、特に女性または女性的な性格の人から恨まれたり嫌われることが多かったが短期間なら上手くキャラに徹して振る舞うことが出来たのだ。

 最近の私は基本的に初対面時にキャラを作っている。そのおかげ?で誰とでもうまく話せるようになったのだ。

 

私のコミュニケーションは、相手を不快にさせないようトライアンドエラーで身につけた、技術なのである。 

 

インスタント

[名・形動]
1 すぐにできること。手間のかからないこと。また、そのさま。即席。即座。「インスタントなやり方」「インスタントラーメン」

(コトバンク引用)

 

私にとって初対面でのコミュニケーションはある程度定型が出来ており、いつでも、大抵の相手と出来るものになっている。生活やバイトで経験の幅を広めるようにしたため、 色々な人間と接してきた。

しかし、そうでありながら、 いまだに私は学校であったり職場の延長以外に人と会うことが極端に少ない。というのも即席の不快にさせないコミュニケーション以上のものを取らないから相手からいる場以上での接触を求められないのだ。

特に学外、は一時期本当に泣くほど悩んでいた。4,5人でグループを作ってる中で、毎日ご飯食べたり講義出たりしていたのに私(ともう一人)だけ何も誘われずに遊びに行っていた、他の人だけでグループLINEを作られていた、なんてこともあった。

「あなたはバイトで忙しいかと思って」「こういった話に興味がないと思って」

気づくまで放って置かれたのは、当たり前だったのだろうか…。

 

さて、前回のブログでは自分が自分である必要性がない、と締めくくった。今回はこう締めくくりたいと思う。

私にとって、コミュニケーションの相手が【あなた】である必要もない。とにかく数さえこなせれば、どんどんゲームをクリアできるのだ。

 

 

こんな感じで締めくくったもの、未だにこの歳にして「親友」と呼べる存在がいないことがすごく苦しいんです。

しかし、もうこれ以外のコミュニケーションを学べる気がしません…。

さて、この言葉も前回と丸っきり被ってしまいますよね。

どうしたら、私はここから抜け出せますか?誰か救ってくれますか?