生きた記録

自分が生きてきた記録をジャンル問わず書こうと思います。

サークラアドベント(獲得できなかった)カレンダー

この記事はサークルクラッシュ同好会のこじらせアドベントカレンダーを獲得できなかったもののその内容で書いてみよう!という趣旨です。

普段のブログより自分語りもりもりです。

 

 

 

「こじらせ」とはなんだろう。

 

人々が想い想いに言葉を使っているのを見ると自分の中の定義が曖昧になり、自分で言葉を定義することを放棄し、ぐって一番上に出てくる意味を鵜呑みにしてしまう。

 

思えば、最近は意図的に考えることを放棄している。

今回のアドベントに関しても、興味はあったものの文才があり分析力があり学歴がある人たちの名前がプレッシャーとなり立候補のタイミングを逃した。

私は「女性との円滑なコミュニケーション」を得るために思考力を犠牲にしたのかもしれない。

  

さて、こじらせについて自分で言葉で表すことが難しいと述べた。

しかし今回の記事はこじらせについて語るというテーマであり、こじらせについて語ることはほぼマストとなっている。

そこでとりあえずこじらせについての定義は

「難しく考える必要のない物事に対して、過度に考え過ぎてしまうこと」

と置かせてもらいたいと思う。

これはある意味、この考えを持たなくなった今、自分の(これから語る)こじらせは解消されたとも言える。

 

私の拗らせ、それは「コミュ障」だ。

  

 まず、自分がうまく人の輪に入れないと思った一番初めの記憶は3,4歳の頃まで遡る。

そんな年齢のことを記憶出来ているのか、と疑問に思う方もいるかとは思うが、それこそが私の思うこじらせなのだ。

その頃の私は保育園に通う年少の子供だった。両親が共働きだったので一歳から保育園に通っていた。そのため年少ともなるとみんな気心が知れていて仲が良かった。

 

それなのに私は、ただひとこと「おままごとに入れて!」と言えなかった。

 

あの年齢でもある程度カーストが存在し、〇〇ちゃんが始めるおままごとには多くの人が参加し△△ちゃんが始めるとあまり参加しない。人気の道具のあるなしに関わらず面白さが変わる、ということがあった気がする。その時はあまり考えていなかったが、園内に2箇所で同じような設定でおままごとするグループがある時も多かった。

その日もみんなは〇〇ちゃんが始めたおままごとを楽しんでいた。

この〇〇ちゃんは親同士が仲良く、休みの日に特別に遊ぶくらいには仲が良かった。気さくな子で話がうまく、絵も上手、幼いながらも多くの女の子の人気を獲得していた。

私は何故かおままごとの開始のタイミングで外に出ていなかった。昔から行動がゆっくりだったので、単に出遅れたのだろう。

私が外に出た時、みんながとても楽しそうにおままごとに興じていた。もちろん、私もおままごとが好きだったので仲間に入りたかった。

しかし、ふと怖くなった。自分が入ることで設定が変わってしまうのでは?面白くない自分が入るとみんなつまらなくなってしまうのでは?本当に、仲間に入っていいのかな?

考え始めるともう、ダメだった。

「おままごとにいれて!」

の一言が出てこなかった。

結局私はその日先生の元に行った。おままごとに入りたいの、と伝えた。先生は何のことなく「仲間に入れてあげてね」と私を入れてくれた。みんなもなんてことなく受け入れてくれた。

しかし、自分の心には上手く馴染めなかったという記憶が残った。

 

 そこからの人生は上手く輪に入れない、コミュニケーションの些細なミスを気にしすぎる人間となった。

 

小学生になりたての頃。作文で「お父さん」と表記したら友達に「誰のですか?」というコメントをつけられたこと。

下ネタが流行った二年生の頃、ノれずに泣いてしまったこと(下ネタが嫌だったのか、自分が言っても滑るという確信があったのか)。

クラス内カースト上位の子に放課後遊びに誘ってもらえたのに、門限守って早く帰ってしまったこと。

修学旅行では一番の友達と喧嘩して、誰とも話せなくなったこと。

私は、できるだけ誤解を生まないコミュニケーションを心がけた。それでも、自分が「浮いている」ような「面白くない人間」であることを常々感じていたのだと思う。

 

中学ではもっと悪化した。

私はこじらせたのだ。人との関わり方を。

友達だと思ってたのに、影で「あの子は偉そうだ」と言われてきた。

バカにしたつもりはなかったのに「見下された」と因縁をつけられ、逆にいじめられるようになった。この辺りに関しては正直、あまり思い出したくない。

運も悪かったのだと思う。比較的親に甘やかされ色々なものを買い与えられてきた私が母子家庭の子に僻まれた、というのはあったのかもしれない。

いじめられている期間、私は男子とばかり仲が良くなった。空想科学のような話をしている間は自分も面白くなり、色々な発想が出てくるような気分だった。

でも、女の子と仲良くしたかった。

ずっと羨望の眼差しを向けていた。みんなが何を話してるのか、(例えそれが自分の悪口であったとしても)耳をすませた。どんな話題が受けているのか、記憶するように頑張った。

たまに女子と話すとき、自分がつまらなくないか気にしてしまって、上手く話せなくなった。

部活では女子ばかりだったのに、上手く話せず、人が怖かった。

それでもなぜか一匹狼だと捉えてもらって、参加する分には後輩に憧れられるなど、それなりの地位を得られた。

 

高校では、女子との関わりをほぼ全て絶った。

漫研に所属し、一部のスクールカースト最下層(こんな書き方をすると本当に見下しているようだが、私は純粋にカーストを気にしていなかった彼女たちが大好きだ)の人と、気が向いた時に週に一回話すくらいしか関わりを持たなかった。

部活は男子が多いところに入り、それなりにたのしくやっていた。中学の頃と変わらず、男子とはそれなりに喧嘩をしないでやっていけた。

クラス内では誰とも話さず、放課後だけ人と話す。そんな環境は別に楽しくなくて、他人もあまり信用できず、ふらっと留学したりもした。

一年いた留学先では寧ろ、コミュニケーションが取れない異国人だからこそのコミュ障が許される場で、意外と居心地が良かった。

だが、私は「女の子ってすぐハブにするからきらーい!男の子と仲良くする!」と割り切れるタイプでもなければ「日本はダメ。海外こそ至高」と永住するタイプでもなかった。

そこで、女子とのコミュニケーションを円滑に取れるようになるための荒療治を思いつく。女子大に行くことだ。

 

 受験話は割愛。

とりあえず女子大に受かって家から通うことになった。

 そこからは、ある意味拗らせを解消でき、ある意味ますます拗らせた。

ひたすらトライアンドエラーを繰り返した。とにかく色々試した。

バイト先を変え、仲のいい友達を変え、所属を変え、Twitterコミュニティを変え…。 

今までも人間をひたすら観察し、人との距離感も保てるようになった自分は、それなりにコミュニケーションが取れるようになった。しかしそれは面白い話ができるコミュニケーションではなくあくまで「相手を不快にさせない」コミュニケーションである。

女子大という特殊環境、人に気を使う接客バイト、自分からあちこちに行き人と会う。

むしろ自分のとっかかりの会話には自信も持てるようになってきた。

しかし、最近新たに疑問が湧いてきた。

 

私の、このコミュニケーションは、何のためにあるんだろうか。

何のために、人と話しているのだろうか。

 

相手の話を聞くことはとても楽しい。

人の考えはきちんとしていて憧れる。

特にサークラの人たちは色々なことを深く考える癖がついてる人が多く、知識

に裏付けされた話は面白い。

 

私の話は?

 

そつなく会話は出来るけど、思考を放棄し相手に合わせた会話だけでは、「自分」が必要ない。

相手の「暇つぶし」にはなれても「会話相手」にはなれない。

結局、私がコミュニケーションをこじらせている間に、私はどんどん人生をこじらせていった。

このこじらせは最初に私の置いた意味でのこじらせたは異なるのだろう。

私には、もう今から勉強して自己研鑽する元気はない。

もはや「相手を不快にさせないコミュニケーション」は癖になっている。

 

 

 

よく、コミュ障と言ったら否定されるのだけれど、私には「面白い話」をする能力がなくて、「自分も相手も楽しいコミュニケーション」をとる能力に障害があるから、ずっとコミュ障なんです。

どうしたら、ここから抜け出せますか?